個人の事情と境界線と楽園の話



  愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます<コリントI 13章4節〜7節>



個人の事情の話


 ひとには、それぞれ事情があるでしょう。誰でもひとつやふたつはほかのひとが知るよしはなくともカルマや事情を背負っているものですが、話し難かったり、かぎられた見地からは理解し難い場合もあります。

 ですから、あなたにはまちがっていると考えられるひとが居ても、頭ごなしに個人的な価値観や常識を押し付けるようなことは控えてください。

 仕方がないと考えられる場合は、そのひとが光のあたる場所を歩けるように願い、祈っていてください。

 頭ごなしに相手を非難しないのは、自分もほかのひとから非難されたくないからではなく、そうすることがまちがっているからです。

 あなたには、まちがっていると考えられるひとはあなたの知らないカルマや事情を背負っていることもありますから、責めたりはせず光のあたる場所を歩けるようにただ願い、祈っていてください。



境界線の話


 こちらで説明する境界線とは、個人と外側の世界の間に横たわる線のことで、相手の踏み行ってはいけない私的な領域の前に引かれた線のことです。

 
これは、私的過ぎて他者が気安く介入したり、勝手な口をはさむ余地のない話。それでもすこし考えれば誰の心のなかにもあるような私的な領域と真理の話、境界線の話。



楽園の話


 どうしようもないカルマや事情を背負って、水底に沈殿したまますくいあげてもらえないような生き方をしているひとも、陽のあたることのない路地裏をひっそりとあるくような生き方をしているひともすくわれた気分にしてくれる。

 あるいは、すこしでも希望や淡い光を感じさせられる空間。もし、楽園と呼ばれる場所があるのならすこし猥雑で混沌としていてもそういった場所のことなのかもしれない。

 そして、その楽園へのドアは閉まることはない。だって、混沌としていて暗闇におおわれていたって、時折、淡い光が射し込んでくる場所にはいつだってさまざまなものがあつまってくるのだから。









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