精神的自由の必要


 いままでに、このサイトを運営していることで、政治や宗教観について質問をされることがありました。

 こうしたことは、以前メールでやり取りした人たちに遠回しに聞かれることがときどきありました。詳細は後述しますが、僕はキリスト教関係者です。

 ところで、意見交換や互助交流を目的としている以上、ヤバい団体の活動の一部なのではないかと懸念される人もおられるかもしれませんね。

 そういえば、長いことこうしたサイトを運営していることで、『あなたは何をしている人なのですか? どういう人なのですか?』といった質問をされることもありました。

 サイトの性質上、こちらに本名や住所といった個人情報を公表する気はありませんが、以前戸籍や家系図などでも自分のルーツを確認したことはあります。

 そういうわけで、こちらでは差し障りのない言い方で、自分のルーツや価値観や精神的自由の必要などについて説明をします。



1.ルーツ
2.キリスト教
3.人間関係
4.事実
5.本音
6.精神的自由



ルーツ

 さて、日本人は典型的な農耕民族とされています。

 ところが、僕の家系は農業に就いていた場合は少数です。というのも漁業や商業や画家といった定住を必要としない職業に就いていた場合が多いからです。

 ちなみに、祖先の職業への適性や暮らしてきた土地に関係していると考えられる気質は、狩猟民型の気質も含まれ、僕の場合ロジックにも伝達されていると思います。

 たとえば、やや気まぐれで他の人の個人的すぎることには、干渉する気にならないところもそうだと思います。

 前述したように、祖先の職業に農民はすくなく、家系図や戸籍でも確認したところルーツはすべて標準的でした。したがって標準的な類型になるでしょう。

 もっとも、家系に皇族や華族や貴族院経験者といった麗しい方がおられたり、上級武士や医者や教師といった知識人がおられる場合、『ああ、かっこいいな』と思うことはあります。

 ちなみに、近しい親類には遺伝的に極端に罹患しやすい深刻な病気はありませんが、僕の場合は少年期からうつ病や神経症など精神疾患の傾向がありました。ただしそちらは先天的な事情ではなく、いくつか引き金になる出来事が関係しています。

 なお、普段は他の人の個人的すぎることには触れないようにある程度配慮するようにしていますし、思想信条や人権も尊重しています。

 とはいえ、ADHDの傾向も昔からあるので、時にはうっかりしたことはありますけどね。



キリスト教

 ところで、僕の場合宗教はキリスト教です。

 だから、もともと教育を受け所属しているキリスト教の教義が適応されています。ちなみにカルトではなく、キリスト教圏ではメジャーな世界宗教です。

 僕は、思想について話しをするときは、自分の宗教を完全に切り離して考えることはできません。


 さて、僕は政治や他の宗教団体ともさまざまなところで幅広くお付き合いさせていただいていました。各政党や他の宗教団体やそうした系列団体との交流も入れるといくつかあります。

 そうしたところでは、総じて『こちらは政党(または宗教団体)とは無関係という前提でお付き合いください』と説明がありましたので、基本的にそのつもりで対応していました。



人間関係

 さまざまな政治や他の宗教団体の施設を見学したこともありました。

 呼び掛けられてイベントに行ったり、マガジンやメルマガなどの情報誌を自分に送付したりすることを頼まれたこともありました。

 このようなときに、『とくに義務や制約が生じないという前提でなら、情報誌を送ることは許可してもいいよ』といった言い方で、自分への情報誌の送付を許可したことはありました。

 ちなみに、世間話をする程度の機会があった場合、もともと教育を受けて所属している宗教団体(キリスト教)があることは、自分のほうから言うのが筋だと思いましたのでなるべくそうしていました。
 
 イベントや平和運動について、コメントや署名を求められたこともありましたが、前述した場合と同様に前提を確認してからサインしたことはありました。

 ときには、政党や宗教団体への加入届けが送付されることもありましたが、自分の宗教や思想属性上の理由などからサインしたことはありません。それにできないことは約束しないというのが、僕の流儀です。

 少々、穿った言い方をします。そもそもキリスト教や神道や日蓮系の宗教の信徒の場合、過去の歴史を振り返ったり、ドグマやキャノンなどの思想属性を考慮えても、加入できるところとそうでないところがあることは分るでしょう。

 ところで、先方とは個人的なこともすこし話したことがあり、こうした意味で懇意にしていたというより、正確には一時的に懇談したことがあった程度です。

 だから、前述した宗教や政治活動に深入りしていたわけではありません。



事実

 事実、前述した宗教や政治団体の人間だという、前提の先方と直に話をしたのは平均で7〜8回。多い人でも10数回程度だったはずです。

 いまは、教育を受けて所属している宗教団体以外の思想団体とはほぼ無縁で、しばらく具体的なコミュニケーションは取っていません。

 詳細は後述しますが、僕は他の宗教団体の場合、いくつかの宗教団体の公式サイトをウォッチしたときに会員規約をさっと読んだことがあります。

 ただし、政党の場合は選挙のときに各政党の公式サイトをウォッチしたとき以外、党則や綱領は意識して通読する機会すらなかったというのが実態です。

 当然ながら、リアルとネットともに、そうした団体(もともと教育を受け所属しているキリスト教の団体以外)の影響下になければならないほど、コンセンサスが成立したことはありません。

 それから、選挙のときはリベラル寄りの候補者に投票する傾向があります。もっとも多少贔屓にしている人もいますが、僕は政党の党員になったことはありません。

 近しい親類にも、キリスト教や神道や日蓮系の宗教の信徒はすこしいますが、政党の党員やその他の宗教の信徒になったことのある人はいません。

 あと、僕は特定の団体の勧誘や分派活動をする意図はありません。サイトの掲示板に『自殺願望者の教会』があります。こちらはさまざまな人が交流や話しをする場所という意味から、この名称にしたわけです。

 けれども、基本的にこのサイトは宗教の分派活動や特定の思想団体の勢力を拡大することを目的としてはいません。その辺りのことはしばらく利用されていた人なら、ご存知だと思います。

 なお、僕は他の人の価値観もある程度尊重しています。だから当然、政治や他の宗教団体のことはとくに非難する気はないし、自分より上にも下にも置いたことはありません。



本音

 ところで、政治や宗教団体の場合、ポジテイブなことでもネガテイブなことでも、ほとんど関知していないのに自分が影響を及ぼしたかのようにアピールする、ミステリアスな人もいます。

 その一方で、関係者の聖域や自主性を尊重しながら自己実現を促進させたり、社会や人を支えたりしているきちんとしたところもあり、玉石混交としているというのが実態です。

 そういえば、いい面もあると思ったときは、口頭や文書で先方に好意的なコメントをすることはありました。いま述懐しても政治や他の宗教団体の場合、自己評価は高かったけど、相手の価値観に配慮した人ばかりだったように思います。

 これは一般論ですけど、いまは思想団体の世界の場合も社会的影響力を高めたり、維持したりするためには、あまり強引なことやハードなことをしないということが肝要です。

 というのも、コンプレックスによるコンテクストを特定のドグマに重ねている場合、オーバーなところにいく傾向がややあるからです。ただし自分と関係のあったところには、共通点のすくないけれど同年齢以上で心のやさしい人が多かったように思います。

 なお、僕はずっとリベラル寄りの自由経済主義者です。しかしだからといって、僕は自分と異なったり、細部まで一致しなかったりする価値観を持つ人についてもその排除や不幸を望んではいません。

 たとえば、リベラル寄りでキリスト教関係者といっても、自民党や公明党にも拒否感があるわけではないし、とくに嫌いなわけでもありません。そもそもこの二つも、基本的に日本と日本人のための政党だからです。

 僕は、ときどき宗教や政治団体のウォッチャーをすることはあっても、そのわりに宗教や政治情勢には勉強不足で疎いこともあります。

 実際、河野太郎さんのお父さんが河野洋平さんだということも近年知ったくらいです。『本当かよ(笑)』と思われる方もおられるかもしれませんが、本当です。

 もし、自民党から総理大臣を選ぶ場合、僕は麻生太郎さんや河野太郎さんのような見た目は普通のおじさんかもしれないけど、カリスマ性のあるキリスト教関係者やスーパーエリートにしたほうが良いと思っています。



精神的自由の必要

 少々、センシティブなことも言いました。

 けれども、こちらはリアルでしか交流のない人には通知したことのない個人がハンドルネームで運営している空間です。

 だからこそ、こうした話をするときもありのままの所感と本音しか言う気はありません。

 なお、こちらで説明したことは過去に控えておいた関連書類のコピーやメモなどの記録も参考に構成しています。それゆえたしかな情報であるということを付記しておきます。

 ところで、『こういうところで思想信条について語るなんてとんでもない!』という意見もあるかもしれません。けれどもこちらは、言論の自由に基づきハンドルネームで運営しています。

 平たくいっても、日本では言論の自由というのは日本国憲法の表現の自由権によって保障されています。そもそも日本は北朝鮮や一昔前のリビアなどの独裁国とは異なり、高信頼型の民主主義国です。

 日本国憲法は、精神の自由という権利も保障していますが、前述したことにはこの権利も多少関係しています。

 ちなみに、精神の自由とは風通しのいい社会には不可欠です。パラフレーズするとこれは、自分でピックアップしたところから、どの価値観をセレクトするのかを決める権利のことです。


 常識的に考えても、私的領域のニュアンスのあるところで自分の価値観をありのままに話すということは、日々の健全な精神の営みには欠かせないことです。

 こちらで説明したことは、ある程度の文化水準に達している国では共同主観性がありますが、これを民主主義と呼ぶのではないでしょうか。








Since October 8th, 2003.
Copyright (C) 2003-2019,
 
http://cotodama.org
Ghetto By yudetamago All Rights Reserved.
Never reproduce or replicate without written permission.