記憶のかけら



G



音楽     映画     漫画     書籍



音楽
- 零 -
『太陽を待ちながら』 バンド:ドアーズ  
 1965年にカリフォルニアで結成されたカウンターカルチャーの体現者、ドアーズのアルバムです。この作品の十曲目の『川は知っている』では、ヴォーカルであるジム・モリソンの底無しに陰鬱でサイケな精神世界が垣間見えます。バンドのアルバムは、依然として多幸感が引き出され易いように思いますが、この作品が一番甘美に感じられます。黄昏ていく叢でメンバーが映っているジャケットデザインも、自然体でありながら、ユーフォリアな気配が出ています。1971年7月3日、ジム・モリソンは、パリのアパートのバスルームで怪死しています。死因は、ヘロインのオーヴァードーズによるとの説や、暗殺説などがありますが、真相は謎に包まれたままです。

- 一 -
『ラッシュ・ライヴ〜新約・神話大全』 バンド:ラッシュ  
 カナダの三人組バンドの作品。オペラ的な歌詞が多く、洗練されたファンシーなサウンドがきこえます。 ここのベーシストであり、ヴォーカリストでもあるゲディ・リーのギターテクニックは常軌を逸しています。ただ、ゲディのヴォーカルのほうは、やや高めで癖がある為好き嫌いがわかれると思います。

- 二 -
『イエス・ストーリー』 バンド:イエス
 プログレシッブロック界の聖人、ジョン・アンダーソン率いるブリティッシュの音楽集団のアルバム。バンドは、ピンフロ、キング・クリムゾン、ELPに並ぶプログレビッグ4の中のひとつに位置付けられています。結成されたのは1968年です。ロンドンのクラブで、ヴォーカルのジョン・アンダーソンとベーシストのクリス・マグワイアが出会ったのが始まりでした。本作には、音楽で紡ぎだしたケミカルな神話の世界観が凝縮されています。

- 三 -
『クリムゾン・キングの宮殿』 バンド:キング・クリムゾン
 このアルバムは、生や死などの人間の本質的なテーマを孕んでいます。ロバート・フィリップの深遠な精神世界が垣間見える傑作。音からイメージが浮かび易い音楽作品が稀にありますが、この作品がそうです。バンドは、歌詞の少ない曲が多いにもかかわわらず、音をヴィジョンへつなげるメソッドを内在しています。たとえばロック史に残るあの一曲目は、高度なアンサンブルが続き、目を瞑りながら聴いていると、暗い霧の中を閃光が疾走し、縦横無尽に駆け巡るイメージが浮かんできました。二曲目の「風に語りて」は、メロトロンが多く使われ、メロディアスな旋律とともに、千々に木の葉が舞う、さびれた夜の世界を連想しました。そしてこのアルバムで圧巻なのは5曲目の「クリムゾン・キングの宮殿」。聴き慣れない言語で歌われているかのような、不思議な出だしです。孤独な人間が真夜中に誰にも知られない場所で、意識が半分飛び、恍惚しながら嘆いているような気配がします(これらは勝手な個人的ヴィジョンですが・・・)。このアルバムは、聴けば聴くほど音が浸透してきて、オルタナティブにすらきこえるフルートやメロトロンなどの、グレイトな音と音の多角的交差も、緻密な計算の上に成り立っていることが窺えます。

- 四 -
『エコーズ - ザ・ベスト・オブ・ピンク・フロイド』 バンド:ピンク・フロイド 
 1960年代後半〜1980年代にかけて活躍したイギリスのバンド、ピンク・フロイドのベスト版。このバンドは、ゼップほどメンバー個々のテクニックが高いわけではないけれど、神秘的な音楽性が独自のかがやきをはなっていました。バンドの中心人物は、時代ごとに変わっているのですが、シド・バレット、ロジャー・ウォーターズ、デイヴ・ギルモアの三期にわたる代表曲が収録されています。またこのバンドは、2005年イギリスロックに殿堂入りしました。初期のリーダーであったシド・バレットは、2006年7月7日、糖尿病による合併症で亡くなったそうです。享年60歳でした。彼はバンドから離脱した後、すこしの間ソロで活動していましたがその後は、静かに慎ましい生活を送っていたようです。亡くなってから、多額の遺産を所有していたことが判りましたが質素に暮らしていたようです。バンドに在籍していた頃の彼は、内面的な問題を抱え、音楽業界の商業的なスタイルなどに減滅していて、LSDなどの幻覚剤を常用し、精神に異常をきたしています。そしてステージ上でも放心状態になるなどの奇行が目立ち、それがきっかけで1968年、ピンク・フロイドから離脱しました。その後もバンドのメンバーは、シド・バレットをリスペクトし続け、彼の為に名曲「あなたがここに居てほしい」をつくりました。

- 五 -
『ライブ・キラーズ』 バンド:クイーン 
 1973年〜1991年まで世界的に活動していたロックバンドの名盤。 1979年の欧州ツアーの音源をまとめたファーストライブアルバムです。バンドは、1980年代はじめのパンクロックの全盛期、そのスタイルが「前時代的」などの恥知らずな批判を浴びていました。この時期さまざまな音楽的実験を試み、短期間に路線変更を繰り返した影響で、古くからのファンが離れていったことは、一時的な人気低迷に繋がったのかもしれません。しかしフレディ・マーキュリーの並外れたリズム感からはなたれる澄んだヴォーカルと、ブライアン・メイのヘビヴィメタ性の濃い洗練されたギターには、音楽的な誠実さがありました。1991年、エイズに倒れたフレディは、声域が4オクターブあったそうです。 


映画
- 六 -
『時計じかけのオレンジ』 監督:スタンリー・キューブリック
 キューブリックの名作。舞台は退廃的な近未来。主人公は、クラシック音楽を愛する15歳のアウトローグループのリーダー、アレックス。彼は本能のままに、常軌を逸した破壊の限りを尽くし荒れた生活を送っています。しかし、ある日殺人を犯してしまい、更正施設に収容されます。そこで彼は反社会性質を取り除く為のプログラムを受け、無害な人間になります。そして出所したアレックスを待ち受けていたのは、かつての仲間(ドルーグ)たちからの壮絶な暴力だった。洗練された心理描写をあらわしているカメラワークが上手いです。インテリアや建造物のスタイリッシュなフォルムが映像美と調和を成し、上質なカルト系映画の雰囲気を出しています。ただ、残念だった点は、アレックスを魅力的な人物に仕立て上げる為、パージェスの原作にあった少女への暴行場面などがカットされ、無軌道な若者の偶像のようになってしまっている点です。

- 七 -
『ナイト・オン・ザ・プラネット』 監督:ジム・ジャームッシュ
 ロス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキのタクシードライバーのそれぞれの仕事中の出来事。主演はロベルト・ベニーニ、ウィノナ・ライダー他。ウィノナ・ライダーの笑顔が素敵です。

- 八 -
『ゴースト・ドッグ』 監督:ジム・ジャームッシュ
 葉隠れを愛読し、武士道をリスペクトする孤独なヒットマン、ゴースト・ドッグ(フォレスト・ウィティカー)の物語。葉隠れへの傾倒が見られる彼は、武士道精神の体現者です。ゴースト・ドッグが屋上で寝そべってるいると鳩の群れが飛び交う場面のファンシーな雰囲気が気に入っています。全体的にデカダンな感じで音楽上質。 

- 九 -
『司祭』 監督:アントニオ・バード
 この映画は、同性愛者の司祭の作品ですが、カトリック協会がCMでネガティブキャンペーンをおこない問題になりました。同性にひかれる若くうつくしい司祭のグレッグ(ライナス・ローチ)は同姓愛者であることが世間に知られてしまい、 現実の理不尽な差別と自分の本質にもまれながら葛藤する。ありのままの自分で生きたいと思うグレッグは、それが昇華されることのない願いだと知ります。

- 十 -
『クロウ -飛翔伝説-』 監督:アレックス・プロヤス
   1980年代にヒットしたアメリカンコミックの映画版。舞台は荒みきった近未来。ハロウィンの前夜、ロック青年のエリック(ブランドン・リー)は、アパートの立ち退きを反対したことがきっかけで、同棲しているエリザとともに無法者どもに殺されてしまう。しかし、エリックはこの世と冥府を結ぶカラスの力をかりて一年後に復活を遂げます。事件の栄養で、二人を兄弟のように慕っていた少女サラの心は荒廃してい投げ遣りな態度が目立つようになります。その彼女が雨の中、町を歩いている場面で、エリックが現れ『晴れる日もある』と、さりげなく彼女を励まして去っていくところが印象に残っています。この作品はB級映画的な感じもしますが、あまねく退廃的世界観とスタイリッシュな映像がうつくしい。モノクロをべースにした色の使い方やも巧みで、『ロック』、『ドラッグ』、『雨』などが作品のモチーフになっています。登場人物が現れるまでのシーケンスの巧みさ(墓場からエリックが出てくる際や、廃墟と化したアパートでサラとエリックが再会する際など)も際立っています。但し、続編も出ていますが、お勧めできるのは最初の一作のみ。それ以後は初期の世界観を悉く台無しにしています。主演のブルース・リーの息子でもあるブランドン・リーは、『さっと降ってどこかへ行ってしまう通り雨』のように、撮影中に謎の発砲事故で夭折してしまいました。

- 十一 -
『オープン・ウォーター 』 監督:クリスチャン・ケンティス
 人食い鮫の映画です。カリブ海にダイビングツアーに来ていた夫婦が、主催者側のミスで海中に取り残されるという実話に基いた内容です。この映画の撮影では、本物の鮫を使って話題になりましたが、じつは低予算で製作されていたようです。そのせいか、カメラワークがやや単調で、悪い意味でB級の雰囲気が出ています。しかし撮影環境に恵まれないホラーやサスペンスにありがちな、突然大きな効果音を出し、ショックな場面に切り替えたりする雑な方法で、見ている側にショックを与えるようなシーンが少なかったことは意外でした。やっぱり野生生物を扱ったパニック映画で、実物が出ていると現実感が増してきますね。その意味で、自由に動きのとれない海中で複数の鮫がゆっくりと取り囲んでいく描写などは好ましいです。おそらくこの種の映画では、この作品ほど斬新なラストはないと思います。主要人物の一人が、波の緩やかな静かな夜の海で漂流していると、鮫の群れが徘徊しはじめる。視界には、水平線が広がり岸辺は見えない。どこにも。非現実的空間のなかで、あらゆる感覚は麻痺していき死期が近づいていることを感じさせられる。が、地獄と浄土の狭間でも人は心のどこかで生存への一縷の望みを託す。それでも鮫の大群はゆっくりと距離を詰めてくる・・・(これ以上は、ラストを明かしてしまうのでコメントを差し控えます)

- 十二 -
『シン・レッド・ライン 』 監督:テレンス・マリック
 舞台は、太平洋戦争時のガダルカナル島。フルメタルジャケットに代表される戦争映画のように訓練の過酷さや、バイオレンスシーンの悲惨さが強調された映画ではありません。つかわれた爆薬の量や発射された銃弾の総数をアピールし、内容の薄さを誤魔化す映画とも違います。さまざまな登場人物の視点で戦争を捉えた作品です。自然と人間の対比も考察すると面白いかもしれません。戦場という極限状態で、人間達の精神は揺らいでいるのに、雄大なる自然は揺らぐこと無く常にその場所に在り続ける。人間個人の死には可塑性が見られるけど、意思を持たない植物の存在には不思議な普遍性を感じました。圧巻なのは、中盤の草原に潜伏するアメリカ兵が、尾根を奪い取る場面。風に流れる雲のシルエットが、草原を這うように流れていき、それを捉える卓越したカメラワークに感心しました。ただ、日本兵の話す日本語にやや不自然な感じを受けたのと、日本兵の動作がアメリカ人の想像する典型的な日本人という感じで一元的な表現になっていたのが残念です。主要人物が二人で会話しているところを草木等の間から映す場面も多かったのですが、これはコッポラ等がよく使う撮影技術で、親密さを醸し出す際の、古典的な方法ですが上手に応用されています。オープニングとエンディングに添えられている島歌らしき歌も、映像との調和がとれ、端的に名場面であることに気付かされました。

- 十三 -
『サイレント・ワールド 』 監督:クリストフ・シュラーエ
 2010年、巨大彗星が突然軌道を変えて地球に衝突する。その結果40億の人々が犠牲になり、それから3年後が舞台になっています。難点は、CGがやや荒く、無駄なラブシーンがあったのと、場面を移行させるときのカメラワークの不自然さから映画的にはB級の域を出ていません。しかし、凍結していく世界で、雪の彼方に淘汰された人々の心情を想うと惹かれるところがありました。無情にも凍りつく世界、死を察知した人々の諦めの気配・・・。でもそれは悪いことではありません。自らの死期を悟ったのなら、素直に現実を受け入れることは、良いことだと思います(*凍死する場面やそれに対する人間の心理描写はありません。凍死の描写は私個人の想像です)。冒頭のほうで述べた難点があったにもかかわらず掲載したのには他にも理由があります。刹那的に凍てついた世界の映像に魅入られたからです。リアリズムや総合的なクオリティから見れば、わざわざこの場所に掲載することはふさわしくないかもしれませんが、前述した場面などがなんとなく記憶に残っていましたので・・・。それと、続編が出ていますが、殆ど建物の中で撮影されており、凍結の驚異や臨場感がない代物なので見ないほうがいいです。人間が死ぬと光になるというような考えが、チベット仏教にあったと思うのですが、ほの暗い世界に煌く雪の結晶を見ていたら、そんなことを思い出させられました。あとストーリーに関係はないのですが、DVDのメニュー画面が気に入っています。そびえる天使の石像と、音も無く降りてくる雪がきれいですよ。

- 十四 -
『ピニェロ』 監督:レオン・イチャソ
 7歳のときにアメリカに移住したニューヨリカンの物語。移民として冷遇されたピニェロ(ベンジャミン・ブラット)の精神は荒廃していき、やがて麻薬中毒になり犯罪行為を繰り返すが、後に収監された刑務所の中で書いた戯曲「ショート・アイズ」が映画化されヒットする。それがきっかけで戯曲家、詩人、俳優として抜きん出た才能を発揮するも1988年に41歳の若さで荼毘に付す。

- 十五 -
『シン・シティ 』 監督:ロバート・ロドリゲス
 罪の町シン・シティで生きる人間たちの物語。仇討ちや切腹を彷彿させる自己犠牲など、随所に武士道精神と日本の侍映画の影響がみられます。ただ、刀や銃火器でのバイオレンスシーンが強調され過ぎていたことは残念。色はモノクロがべースです。スパイダーマンやエックスメンのように、アメコミが原作の近年の映画はクオリティが高いですね。主演はブルース・ウィリス、ミッキー・ローク他。


漫画
- 十六 -
『骨の音』 作者:岩明均
 岩明均の初期短編集。正常と異常の狭間を行き来する人々の心理状態が垣間見えます。一話目に収録されている「ゴミの海」と、最後に収録されタイトルにもなっている「骨の音」は個人的に佳作です。但し、昔の作品だけあって、絵は荒いです。それでも場面の展開が軽快です。この人の作品は、残酷な場面も出てきますがさりげなく挿入されていて、短い話のなかにも生や死が巧みに織り込まれています。

- 十七 -
『眠兎』 作者:浅田弘幸
 浅田弘行の青春漫画。過去を忘れたいと願う非行少年の空木眠兎は、親戚の家に居候する。しかしその家に住んでいる自分と同年代の少年と衝突を繰り返すことになります。この年代の人間が抱えているはかなさ、葛藤、虚無感が中原中也の詩とともに描かれています。1992年の発売時に購入しましたが、今見てもそんなに古い感じはしないです。二巻で完結しており、最近の浅田作品と比べると、やや粗削りな部分もありますが、虚無的世界観のなかにしずかな救いがあるところがいいです。この人の絵は線がうつくしいです。

- 十八 -
『のぞき屋』 作者:山本英夫
 覗きが趣味の探偵業の男と知り合った大学生の物語。絵は荒めですが、テンポの軽快さと心理描写の上手さから、続編の『新覗き屋』 『殺し屋1』 『ホムンクルス』を描いた作者の才能を感じさせられました。1993年の発売時に購入しましたが、今でもたまに読み返しています。

- 十九 -
『デビルマン』 作者:永井豪 
 主人公の不動明は悪魔と融合して人間ではなくなりますが、理性と感情の狭間で葛藤する彼に人間的魅力を感じました。終盤の悪魔と天使の戦いは、タナトスに結実します。この漫画は約30年前の作品ですが、現在でも多くのファンに愛されています。作品の世界観は、ベルセルクなんかにも通じてるところがありそうですね。時代が変わっても良いものは滅びない。

- 二十 -
『火の鳥』 作者:手塚治虫 
 永遠のいのちをつかさどる火の鳥の存在をべースに、古代から未来まで圧倒的なスケールで描かれた傑作。科学が発達した高度な文明世界でも、人間たちの欲望はとどまることを知らず限りなき戦いを繰り返す。人々のあらがえない不死への欲望は、善人を悪人に変え、人間の尊厳を考えさせられる。物語は果てなく続いていきます。哲学的要素が含まれていますが、分析的な先入観があってもなくても面白いと思います。これからも、この漫画は万人に愛されていくのでしょう。


書籍
- 二十一 -
『猫町』 著者:萩原朔太郎 
 このサイトの取材で知り合った美しい女性ジャーナリストに薦められて読みました。萩原朔太郎が何時の間にか、非現実的な町に迷い込む話です。この作品は複数の出版社から出ていますが、1997年にパロル社から出た物がお勧めです。終始退廃的な雰囲気がするデカダン文学ですが、萩原朔太郎の言葉と金井田英津子さんのノスタルジックな挿絵のおかげで、読後はやすらかな気分になりました。

- 二十二 -
『眠れる美女』 著者:川端康成 
 眠ったままの美少女たちに倒錯する老人の話です。川端康成の日本語がうつくしい秀作。老人は、一糸も纏わぬあられもない女体に触れ、恍惚しながら孤独のなかで朽ちいくことに、かなしみとひそかなよろこびを感じる。瑞々しい娘たちの肌と、枯れ木のような老人の姿が対照的で、老いのせつなさを感じました。ガルシア・マルケスの「Memories of My Melancholy Whores」は、この本をべースにして書かれたみたいです。

- 二十三 -
『モグラびと』 著者:ジェニファー・トス 
 ニューヨークの地下に無数に放置されていると言われる地下鉄の廃線や下水道等でひっそりと生活している「モグラびと」とよばれる人々の実態を取材したノンフィクションです。現実に居場所が無く、社会からドロップアウトし、地下に潜った麻薬中毒者、病人、家出少年たち(モグラびと)は理想郷を求め、アウトローとしての生活を選んだのかもしれません。しかし地下での生活は夥しい量の鼠やゴキブリが徘徊し、犯罪とも隣り合わせの、不衛生且つ醜悪なものだった。そこは本当に住人たちが求めていた場所だったのだろうか? もしそうでないとしたら、スタインベックの「二十日鼠と人間」や「怒りの葡萄」に代表される文芸作品に見られるように、自分を救ってくれるような理想郷を求めても結局この世には存在しない、という 真理にいたるのではないでしょうか。それでも帰る場所が無く、暗闇の中で、まるでモグラのように生活する彼らは、いつわりの幻想や錯覚だけでも幸福に成ることはできるのかもしれません。雨の日も雪の日も、地上からは深遠な地下世界で、じっと幸福を見出すことに時間を費やす孤独な人間たちの心境は、宗教的な祈りに通じるものがあります。 



戻る